DUE /「BENHEARTの歴史とブランドネームの由来について」November 27th, 2018

皆様こんにちは。
いかがお過ごしでしょうか?
朝晩の冷え込みが本格的な冬の訪れを感じさせる今日この頃です。
さて第2回の今日はBENHEARTの歴史とブランド名の由来についてお話したいと思います。
先ず、ブランド名やロゴの由来とはそのブランドにおいての全ての歴史であり意味が込められています。
簡単に説明することが困難を極めるので可能な限り詳しく説明しようと思います。
私達BENHEARTのデザイナーは…
よく巷で聞く「〇〇デザイン学校で学びその後ブランド〇〇にて〇〇を担当、その後ディレクターに就任、数々の話題作を世に送り出し・・・云々かんぬん、その後独立して現在に至る」
的な部分は一切持ち合わせていません。
ですので説明には多くの時間(長文)を要します。
私は当時の状況を本人から直接聞いたことを、覚えている限りダイレクトにここに書きます。
描写やシチュエーションについても本人の言葉を基にお伝えしますので最後までお付き合い頂けたら幸いです。
重複しますが、長文です。
そこは「ブログ」ということでご理解くださいませ。
ではスタートします。
【 WHAT IS BRAND??? 】
イタリア発の有名ブランドと言われたなんとお答えするでしょうか?
日本にはファッションブランドではグッチ、プラダ、ボッテガ、フェンディ―、ヴァレンティノ、ディーゼル、ストーンアイランド、ヘルノ、タトラス、Dスク、パームエンジェルス、他、最近中国で話題になったD&G等があります。
また車ではフェラーリ、ランボ、アルファロメオ、マセラティ、フィアット(外国資本含)、やワインや食材など多くのイタリア発ブランドが日本に進出しています。
ここで少しだけ角度を変えて見てみましょう。
上記に挙げたほとんどのブランド企業が当たり前ですが「イタリアらしい名前」です。
イタリアにルーツを持つブランドのほとんどがそれにあたります。
4年前、私が日本での初店舗を西麻布に開店した際、多くの方々がBENHEARTをイタリアブランドとして認識することはありませんでした。
BENHEART=無名ブランドであることは事実でしたし、加え日本人に馴染みの無いレザーに特化したブランドでしたので尚更です。
多くのお客様が名前を聞いただけで「ITALIA」とピンとくるようなネーミングではなかったのは、当時の私にとって非常に大きな問題でした。
何故ならば日本人はイタリア=オシャレ、ファッション、食べ物のイメージを強く抱いていたので、初めてブランド名を聞いただけでも「イタリアらしい」と分かる方がお客様に与える印象や受け入れられ方が違うと私は知っていたからです。
後程、詳しくご説明しようと思いますが、私達のデザイナーであるHICHAM BENMBAREK(イタリア呼 イシャム ベンバレク)(以下HB)が昨年来日した際に収録したブランド紹介インタビュー(HP VIDEOにてご覧いただけます)内ブランドネーム由来について語っておりますが、ブランドネームに必ずしも個人名が入っているとは限らず、またその必要はないと言っています。
HBにとってのブランドネームとはそのブランドヒストリーやポリシーから誕生するべきで、販売のし易さやイメージで命名するものではない。と考えています。
また同じくデザイナー個人の名前も重要ではなく、あくまでも「ブランド」として確立するべき。という信念を持っています。
【 DESIGNER ’HICHAM BENMBAREK’ 】
今からさかのぼる事、7年間の2011年(公式では2012年)、BENHEARTはフィレンツェにあるスカンディッチと言う町で’BENHEART’はその産声をあげました。
更にその1年前の2011年、、、
良く晴れたある日、彼が所属するアマチュアサッカーリーグ戦の試合を行っている時…
彼は経験したことのない動悸と酸欠に襲われます。最初は体調不良もしくは疲れ程度にしかとらえていませんでしたが試合が進むにつれより激しくなり、ついに彼は意識を失い倒れてしまいました。
当時の様子を知る人から言わせれば、「それは突如に起こり、彼はその場に膝から崩れ落ちる様に倒れた」と言います。
救急搬送後の検査結果で心臓から血液を送り出す際の弁が正常に働かなくなる疾患であることが判明、既に心臓は大きなダメージを受け正常に動くことは2度となく、また外科的手術での対応も困難な状況になっていました。
命を救う方法は心臓移植手術しかないことをドクターからに告げられた時、彼はすぐ「死」に対しての恐怖を感じつつ人生の終わりについて「覚悟」をしたそうです。
私が5年前BENHEARTと仕事を始める時、本人から聞かされたストーリーがあります。
それは彼のルーツや製品に対しての想いなど沢山ありますが、私が最も印象的だったのはこのストーリーでした。
「毎日を一生懸命に生きる責任が人々にはある」 HICHAM BENMBAREK
BENHEARTブランドのトップデザイナーであり、現在イタリア国内のレザーデザイナーとして飛ぶ鳥を落とす勢いである、’HICHAM BENMBAREK’
彼はモロッコのメクネスという歴史ある古都で生まれました。
このメクネスは温暖な気候に恵まれ水も綺麗な事から古くからワインの生産やオリーブの栽培が盛んな地域です。
モロッコではマラケシュやフェズと言う観光地が有名ですが、このメクネスは日本で言えば京都や奈良の様な位置づけです。
現在ではモロッコの発展と都市化もありインフラの整備や近代的な社会秩序を保ちますが、約30年前のモロッコは私達が想像する以上に貧しく階級社会かつ、貧富の差が激しく国民の多くが貧困層にあたるほど日常生活をすることが困難な国でした。
彼は写真家の父と清掃婦をしている母の元、1982年に誕生しました。
彼の誕生後、すぐに父親を病で亡くしたため父親の思い出が一切なく、父親を感じるのは1枚の写真と母から聞く偉大な父親の物語だけでした。
働き手だった父親を失い路頭に迷った家族は1日1回の食事すら取れないことも多く政府の支給物やユニセフからの援助で何とか生きていたそうです。
この状況に彼の母親は一大決心をしました。
それは「亡命」
いや、正確に言えば亡命よりも「密入国」に近いかもしれません。
7歳の時、モロッコ沿岸からゴムボートに乗りイタリアを目指しました。
荷物は無し、サンダルにTシャツ、ハーフパンツだったそうです。
船頭が管理配給する僅かな食糧と水、荒れた海や大小のハリケーン、各国の沿岸警備やアフリカ系海賊など、運が悪ければ即死に繋がる旅です。
ここ数年、中東の情勢不安からリビア、チュニジア経由で多くの中東、アフリカ人がイタリアを目指し船で渡っています。
しかしその多くが海上で座礁沈没したり、僅かな食糧の奪い合いで殺し合いが発生したりしています。
(日本のメディアでは対岸の火事、程度の報道ですが現地ではその悲惨な状況が放送されています)
(アフリカ大陸からイタリアを目指す移民)
現在では世界中のメディアで取り上げられ、難民に対して寛大な措置が取られていますが、30年前は全く違いました。
海上で発見されても、絶対に保護することはなく、沈没狙いで故意に衝突されたり、銃器による威嚇射撃など当たり前です。
難民の受け入れを固く拒否し会場にて封鎖、追い返したりしたそうです。
たとえ食料も水が尽きていても、、、
(この間の出来事をお話すると1冊の本が出来てしまうくらいですので省略します)
紆余曲折あり、彼と母親は運よく生き延び、安住の地フィレンツェに辿り着きました。
HBは私にこう言います。
「僕は一度死んだも同然なんだよ。だって故郷を捨てたしあの時海で死んでいたかもしれないしね… だからこうして生きて君に逢えたことが奇跡に近いんだ 笑」
私が7歳の頃、当時貧しいながら父と母、兄弟たちに囲まれていました。
毎日3回、お袋の味を感じることができたし、蛇口をひねれば綺麗な水が出た。毎日風呂に入れたし暖かい布団でも寝れた。
流行のおもちゃは持っていなかったけれどいつも友達と走り回っていた。
「死」など考えたことも無ければ、「生きる」ってことの意味など考えるはずもなかった。同じ7歳児なのに…
彼が病院のベッドで死について「覚悟」したのは彼の生い立ちが全て物語っている。
「僕はあの時一度死んだと思っている。学校にも行けず勉強とは無縁だった。思い出したくもない人種差別もあった。移民だから安い賃金でこき使われた。
欲しい洋服も靴も買えなかった。友達がコーラを飲んでいる時、僕は公園の水だった。みんなが生ハムのピザを食べている時、僕はお腹いっぱいだと言って一人外にいた。
とてもつらい時期もあったけどでも、それでも僕はお金の為に犯罪者だけにはならなかった。母と天国にいる父を悲しませることだけはしたくなかった。だからこの人生に誇りも持てるし一切の悔いはなかったんだよ」(後日談)
幼い頃に受けた厳しい環境や体験がここまで人を強くするのか?と当時、感動よりも困惑したことを昨日の事の様に覚えている。
敬虔なモスリム(イスラム教徒)のため、厳しい戒律に従い彼は辛抱強く生きてきたのだろう… と察する事しかできなかった。
【 DEAD OR ALIVE 】
入院後のある日、彼は母親とドクターに呼ばれた。告げられたのは心臓移植を受ける為の登録について。
彼は激しく拒否する。何故か?
唯一の希望である移植を拒み続けたそうです。
彼の考えでは、モスリムがもし異教徒からの移植を受けた場合は戒律に反すると考えていたからだそうです。
ご存知の通り宗教と言うのは戒律によって多くの事が縛られています。
日本人のように仏教が基本だが、いざ信仰となるとそれとは異なる感覚を持っているはずです。
年に数回ある外国発祥のイベントに踊らされる日本人とは宗教に対しての姿勢が全く異なるのです。
しかし拒む彼を母親が説得し続けます。
単純に生きて欲しい。もし戒律を守るために命を落とすことがあるならば、そんな神様は何の意味も持たない。
そして親にとって子に先立たれることがどれだけ悲しい事か!生まれたばかりの孫(HBの子供)に自分と同じ思いをさせるのか?と。
そして一番の親友でありBENHEART 創業者の一人である’MATEO MASINI’が続けます。
僕たちが作り続けている革製品をもっと沢山の人達に届けよう!僕たちの夢だったレザーブランドを宗教を理由にして諦めることができるのか? 命と夢を奪い取る程君の神様は偉いのか?と。
彼は数日間、迷い苦しみ自分の中で答えを探し続けたそうです。
人生の目的は何か?
子供たちが大人になった時に父親の選択肢を理解することが出来るか?
幸せの追求とは何か?
宗教とは何か?
神とは存在するのか?
自分の才能とは何か?
毎日見舞いに来る母親、マテオ、子供たち、友人達。。
彼は自分の為に生きることを捨てて人のために生きることを決断しました。
自分が生きる原則的な理由を他人への奉仕として自覚する。
自分が生きることを必要としている人たちの為に生きる。
いつか出会うBENHEART 製品を愛する人々の為に生きる。
これらを繰り返すことで誰かの為になるならば生きる意味がある!と決めたそうです。
彼は心臓移植を受ける為にすべての検査を受け登録を行います。しかし登録したからと言ってすぐに適合する心臓が見つかる程簡単にはいきません。
当時イタリア国内には何百人もの登録者がおり、全てが適合する確立は極端に「ゼロ」に近かったそうです。
……適合を待つ間、、、 自分自身との戦いは困難を極めました。
いつくるか分からない不安。弱っていく心臓と精神。
毎日、数日後には眠ることにすら恐怖を感じ、何日も眠れない日が続きました。
それから数ヶ月後、彼自身限界を感じていたある日のこと、彼の元へその一報は届きました。
血液型 サイズ 全て一致する心臓が見つかったのです。
病院内は歓喜に包まれ誰もが祝福を言いに彼のを訪れ、病室に来たそうです。
私は以前、その一報を聞いた時の気持ちを彼に聞いたことがあります。
彼はこう答えました。
「ダイゴ、それを聞くのか?これはとても難しい質問だよ。。。OK。正直に答えよう。
あの時、ママ含め家族、友人達、ドクター、看護師、全ての人達は大喜びだった。しかし僕は違った。確かに僕に適合する心臓が見つかったかもしれない。
しかしその裏で誰かの命が消え、そしてその家族はとても悲しみ苦しんでいる。僕にとって新しい人生を手に入れるチャンスは出来たけど、それは誰かの死を意味したんだよ。
これを素直に喜べるかい?僕が生きることはそれに値するのか?その人の分も生きる責任を背負うということなのだから… ダイゴ、君だったら喜んでいたかい?・・・・・」と言った。
私は何も言えなかった。そして彼が何故、頑なに【 拒否 】していたかこの時に初めて意味が分かった。
【 THE BIRTH OF BENHEART】
迎えた手術の日、彼は病室にいる家族友人などマテオ以外を除くすべての人達の人払いをします。
「彼が」マテオに言います。
「怖いかい?」
マテオが答えます。
「とても怖いよ」
彼
「怖がる必要はないよ。全ては神の思し召しさ」
マテオ
「君の神様は君を助けるかい?」
彼
「僕がそれに値するならば」
マテオ
「分かった。僕はその価値があると確信しているし、必ず戻ると信じているよ」
彼
「君に相談したいことがある」
マテオ
「なんだい?」
彼
「もし僕が生きて帰ってきた後、ブランドを始める時の名前についてなんだ」
マテオ
「君の名前にしよう!」
彼
「いや、それは違う。僕は僕に心臓をくれた人の名前を付けたいのだけど僕はその人を知ることができない。だけどその人を分まで生きる証として、尊敬と愛を込めた名前にしたいんだ」
マテオ
「勿論、賛成だよ。だけどどうやってその人の名前を知るんだい?」
彼
「いや、知る必要はないんだ。僕の名前の’BEN’とその人の心臓、’HEART’を合わせたいんだ。ここには君の名前が入っていないし、イタリアのブランドに聞こえないから反対かい?」
マテオ
「ハハハ… 君らしいね・・・ 僕の名前なんて要らないよ。とっても美しい名前だし、きっとその人も幸せに感じてくれるはずだよ。僕は心から賛成するよ」
彼
「ありがとう。本当にありがとう」
マテオ
「違う。僕がありがとうだよ」
彼
「マテオ、必ず戻って来るよ」
マテオ
「知ってるよ。それじゃまたあとで会おう!約束だよ」
2011年 BENHEART 誕生
2012年 BENHEART 1号店をフィレンツェに出店 現在に至る・・・
完
最後まで読んで頂きありがとうございました。
それでは次回、またお会いしましょう。
皆様に愛を込めて。
Grazie mille.
Buonagiornata.
Con affetto Baci!